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大学組織と教員の役割

日大アメフト部不祥事から知る大学組織における教員と職員の違い

 

大学教員になる前提としての大学組織についての知識

 

ここまでのブログでは普通のサラリーマンが大学教授になるために

学位を取ること

自分たちは実務家教員と呼ばれること

大学教員になるために今がチャンスであること

を書いてきました。ここまでは「どうしたらなれるのか」の前の前提となる知識です。

 

前提の最後として、皆さんに大学における職員と教員の違いを理解してもらうために、昨年フェイスブックに書いた日大アメフト部の不祥事の日大側の記者会見についての解説記事を転載します。皆さんが目指すのは教員であって職員ではありません。あらかじめその違いを良く知っておくことが大切です。

 

日大アメフト部不祥事会見から考察する大学の組織とガバナンス(フェイスブックより転載)

 

「昨日、日大の会見を見ていたのだが、相変わらずマスコミが大学のことをほとんど理解していないので、ここで解説したい。

 

1.大学経営を担う職員と「体育会」の影響力(ガバナンス問題)

大学は製造会社に似ている。学部は言ってみれば工場である。工場では一生懸命いいものを作ろうと頑張っている。そのための商品開発や工程設計・品質管理もしている。同じように学部でも教員が一生懸命学生を教育し、そのためにカリキュラムを設計したり品質管理をしたりする。

では経営は誰がやっているのだろうか。会社でいう本社機能、すなわち財務、経理、総務、広報、情報システム、施設、法務・知財、経営企画等、これらは大学本部=学校法人の本部組織が担っている。そこで働いているのは教員でなく職員である。職員は会社と同じように平社員でそれぞれの部門に配属され、課長、部長、と出世して理事(会社でいう役員)になり、経営を担うようになる。このような仕事に大学教員はほとんど興味がない。もちろん教員出身の理事もいるが、実質的に経営を担っているのは職員出身の理事である。

さて、大きな大学には伝統的に「体育会」(強化クラブ)部活がある。そして部活の卒業生が職員として採用されることが多い。かれらは本部組織の中で出世してやがて理事になる。体育会は上下関係が厳しい体質なので、本部組織の中に体育会的上下関係が出来上がる。さらに理事や職員に対する出身部活OBの影響力も強い。これが会見でも出たムラ社会である。

このような大学本部組織(経営組織)の体育会的体質を払しょくしない限り、ガバナンス改革はできない。それが日大(に限らずスポーツが強い伝統校の)問題の本質である。

 

2.大学スポーツの改革

アメリカにはNCAAがあり、大学横断的に大学スポーツとほとんどの競技団体を統括している。NCAAは巨大な大学スポーツビジネスを統括している(放映権など)がそれだけでなく学業成績、入試、安全性について厳しい基準を設けている。例えば学業成績が悪ければ試合に出ることはできない。あるいは基準以上の成績を取らなければ有望選手でも入学できない。何よりも、大学スポーツは教育として位置づけられており、強化クラブの部活には単位が出る。つまり大学スポーツは事務ではなく教育側の管轄である。日本では部活は課外活動であり部は大学の組織の一部ではなく任意団体である。単位も出ない(一部出すところもあるが教育の一環とは位置づけられていない。少なくともアメリカのように大学スポーツが大学の価値や求心力を高めると思うのであれば、大学が組織として関与すべきだろう)。

2019年、日本版NCAAとしてUNIVASが発足した。NCAAと同じように(ビジネスは無理としても=一応目標には掲げているが)安全性、公平性、学業充実を掲げて活動している。しかし学業や入試の基準を嫌ってすべての大学が加盟しているわけではない。加盟校の間でも「厳しくしすぎて有望な学生がとれないのではないか」という思惑から、なかなか意見がまとまらないのが現実である。とはいえ、今回日大は改革の一環として今まで加盟していなかったUNIVASに加盟すると表明している。加盟して理念通りにやれば体育会体質の改革になるだろう。しかし益子教授(再発防止委員長、スポーツ科学部長)は早稲田大学ラグビー部出身なので日大の体育会にはほとんど影響力はなく、難しいのではないだろうか。

 

3.学長、副学長の退任の意味

学長、副学長を企業の役職と同じような感覚でとらえると間違ってしまう。事業部長や部長とちがって学長、副学長は任期制の役職である。任期が来てやめたら(定年でなければ)教授に戻るのである。大学教員の多くは学科長、学部長、副学長、学長というのを出世の階梯とは考えない。面倒な仕事を引き受けさせられる、はたからは研究はあきらめたのかなと思われてしまう。

だから記者が質問すべきは辞任とは日本大学を辞めることなのか、ということである。いや、役職を辞するだけで日本大学教授としてはそのままである、と答えればな~んだ、責任取るってその程度かと思うだろう。」

 

大学教員に求められる力、それを身に着けるための社会人大学院の勧め

 

皆さんは企業で総務、経理・財務、人事、広報、知財マーケティング、経営企画などを担当していてそれが得意かもしれません。しかし大学でそのような業務を担っているのは教員ではなく職員です。職員はサラリーマンの皆さんと同じように新卒で入って係長、課長、次長、部長と出世していく、つまり組織として仕事をします。その仕事に教員は関与しません。教員になる皆さんは言ってみれば「一人親方」として大学の経営・管理ではなく研究と教育で成果を上げることを期待されているのです。

 

あなたが財務が得意だとしても、期待されていることは大学の財務の仕事でもなければあなたの経験を漫然と学生に伝えることでもありません。あなたの経験を理論に照らし合わせて一般化、普遍化し、体系的に学生に伝えることが求められます。それによって学生は応用可能な知識=その分野の基本的な考え方を学べるのです。

 

あなたの経験を普遍化するためには、経験を客観化して深く考察する必要があります。それには単なる仕事に対する以上の「なぜこうなのだろう?」という知的好奇心が必要です。

 

そのために、たんに学位を取るためでなく、知的好奇心を満たすために社会人大学院で学び研究することをお勧めしたいと思います。