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社会人大学院で学位取得!

(この記事から文体を変えることにしました。)

 

実務家でも大学教授になるなら学位が必要、それなら社会人大学院へ(私の経験談

 

既に述べたように、実務家教員でも採用されるためには(本音のところでは)学位が必要である。もしなければ取らなければならない。今は社会人が通って学位が取れる大学院がたくさんある。入試科目も社会人向きにレポートと面接しかない(語学や専門科目の筆記試験がない)とか、授業は平日の夜と土曜日に開講されるとか、様々な配慮がされている。仕事をしながら学位を取ることができる。私は51歳で社会人大学院に入学し、仕事をしながら53歳で修士の学位を取った。その実体験をお伝えしたい。

 

なぜ大学院に入ろうと思ったのか

 

当時私はクライアントから委託されてコンサートや音楽イベントを制作する部門の責任者をしていた。もちろん自分でもプロデュースの実務を担っていた。クライアントは主に自治体や自治体が設置した文化ホールだった。仕事をしていく中で素朴な疑問がわいた。なぜ自治体は文化ホールを作るのだろうか?なぜ自治体は音楽祭を主催するのだろうか?なぜ文化ホールを通してコンサートや音楽イベントを市民に提供するのだろうか?仕事をしながら好奇心が沸き起こってきた。

当時は大学教員になるなど全く思っていなかった。忙しい仕事の中で沸き起こった好奇心を満たすにはどうしたらいいか考えたとき「そうだ、大学院に行って研究して解明すればいいのではないか」と思いついた。

 

どのようにして大学院を選んだのか

 

2~3本を読んで、私の好奇心は自治体の文化政策というものへの興味だということがわかってきた。しかしそもそも自治体のことも政策のこともまったく知識はなかったので、まずそれから勉強しなければならないと思った。当時住んでいた横浜の行きつけの店のカウンターで飲みながら常連さんとそんなことを話していたら、そのうちの一人、明治大学大学院政治経済研究科修了の人が「それなら明治の中邨章先生に習うのがぴったりではないか」と教えてくれた。

しかし明治大学大学院は入試に語学と専門科目の筆記試験があり、いまさら受験勉強している暇ないし(後で調べたらそもそも昼夜開講制ではなかった)どうしよう、と思っていた。ある時社会人大学院フェアというイベントがあり、色々な大学院がブースを出している、というので行ってみた。そこにブースを出していた聖学院大学大学院のパンフレットをもらってめくっていたら政治政策学研究科になんと中邨章先生が客員教授で来ていてゼミを持っていた。しかも社会人入試は小論文と面接だけ。土日と夜間の開講で2年間で修士が取れるという。これだ!と思った。

 

大学院入試

 

願書を出していよいよ入試当日。小論文は政治に関する時事問題が出るだろうと思ったが、対策は現代用語の基礎知識の該当項目を読んだ程度だった。午前中は小論文。題は案の定政治の問題だった。A4の解答用紙の表にびっしり書き、裏の半分まで書いたところで周りを見回したら皆さん表も全部書けていない。それならこの辺でいいか、と文章をしめくくった。

午後は面接。面接員のお二人は私が書いた小論文のコピーを持っていて開口一番「内容はともかく文章が書けるので安心した。大学院にもなって文章のテニオハを直さなければならないのはたまったものではない」と言われた。実は面接員のお一人大学院長飯坂良明先生は私の学習院大学の学部時代に習った先生で30年ぶりの再会だった。面接は懐かしい思い出話や卒業後の消息に終始した。最後に「ぜひ若い人の相談役になってほしい」と言われたので、あれ、合格したのかな、と思った。

その後合格通知が来たので奥さんに話したところ「あなた、大学院出て学位取ったら給料上がるの?それとももっと給料の高い会社に転職できるの?」と聞くので「そんなことは一切ない」と言ったら「じゃなに、ただの趣味でいくわけ?」と言うので「まあ、趣味と言えば趣味だな」と返したら「高い趣味ね~」と言われた。まあ学費が年間100万円以上かかるのだから趣味としては高いのは間違いない。

 

次回の記事は大学院生活と修士論文について書きます。

大学組織と教員の役割

日大アメフト部不祥事から知る大学組織における教員と職員の違い

 

大学教員になる前提としての大学組織についての知識

 

ここまでのブログでは普通のサラリーマンが大学教授になるために

学位を取ること

自分たちは実務家教員と呼ばれること

大学教員になるために今がチャンスであること

を書いてきました。ここまでは「どうしたらなれるのか」の前の前提となる知識です。

 

前提の最後として、皆さんに大学における職員と教員の違いを理解してもらうために、昨年フェイスブックに書いた日大アメフト部の不祥事の日大側の記者会見についての解説記事を転載します。皆さんが目指すのは教員であって職員ではありません。あらかじめその違いを良く知っておくことが大切です。

 

日大アメフト部不祥事会見から考察する大学の組織とガバナンス(フェイスブックより転載)

 

「昨日、日大の会見を見ていたのだが、相変わらずマスコミが大学のことをほとんど理解していないので、ここで解説したい。

 

1.大学経営を担う職員と「体育会」の影響力(ガバナンス問題)

大学は製造会社に似ている。学部は言ってみれば工場である。工場では一生懸命いいものを作ろうと頑張っている。そのための商品開発や工程設計・品質管理もしている。同じように学部でも教員が一生懸命学生を教育し、そのためにカリキュラムを設計したり品質管理をしたりする。

では経営は誰がやっているのだろうか。会社でいう本社機能、すなわち財務、経理、総務、広報、情報システム、施設、法務・知財、経営企画等、これらは大学本部=学校法人の本部組織が担っている。そこで働いているのは教員でなく職員である。職員は会社と同じように平社員でそれぞれの部門に配属され、課長、部長、と出世して理事(会社でいう役員)になり、経営を担うようになる。このような仕事に大学教員はほとんど興味がない。もちろん教員出身の理事もいるが、実質的に経営を担っているのは職員出身の理事である。

さて、大きな大学には伝統的に「体育会」(強化クラブ)部活がある。そして部活の卒業生が職員として採用されることが多い。かれらは本部組織の中で出世してやがて理事になる。体育会は上下関係が厳しい体質なので、本部組織の中に体育会的上下関係が出来上がる。さらに理事や職員に対する出身部活OBの影響力も強い。これが会見でも出たムラ社会である。

このような大学本部組織(経営組織)の体育会的体質を払しょくしない限り、ガバナンス改革はできない。それが日大(に限らずスポーツが強い伝統校の)問題の本質である。

 

2.大学スポーツの改革

アメリカにはNCAAがあり、大学横断的に大学スポーツとほとんどの競技団体を統括している。NCAAは巨大な大学スポーツビジネスを統括している(放映権など)がそれだけでなく学業成績、入試、安全性について厳しい基準を設けている。例えば学業成績が悪ければ試合に出ることはできない。あるいは基準以上の成績を取らなければ有望選手でも入学できない。何よりも、大学スポーツは教育として位置づけられており、強化クラブの部活には単位が出る。つまり大学スポーツは事務ではなく教育側の管轄である。日本では部活は課外活動であり部は大学の組織の一部ではなく任意団体である。単位も出ない(一部出すところもあるが教育の一環とは位置づけられていない。少なくともアメリカのように大学スポーツが大学の価値や求心力を高めると思うのであれば、大学が組織として関与すべきだろう)。

2019年、日本版NCAAとしてUNIVASが発足した。NCAAと同じように(ビジネスは無理としても=一応目標には掲げているが)安全性、公平性、学業充実を掲げて活動している。しかし学業や入試の基準を嫌ってすべての大学が加盟しているわけではない。加盟校の間でも「厳しくしすぎて有望な学生がとれないのではないか」という思惑から、なかなか意見がまとまらないのが現実である。とはいえ、今回日大は改革の一環として今まで加盟していなかったUNIVASに加盟すると表明している。加盟して理念通りにやれば体育会体質の改革になるだろう。しかし益子教授(再発防止委員長、スポーツ科学部長)は早稲田大学ラグビー部出身なので日大の体育会にはほとんど影響力はなく、難しいのではないだろうか。

 

3.学長、副学長の退任の意味

学長、副学長を企業の役職と同じような感覚でとらえると間違ってしまう。事業部長や部長とちがって学長、副学長は任期制の役職である。任期が来てやめたら(定年でなければ)教授に戻るのである。大学教員の多くは学科長、学部長、副学長、学長というのを出世の階梯とは考えない。面倒な仕事を引き受けさせられる、はたからは研究はあきらめたのかなと思われてしまう。

だから記者が質問すべきは辞任とは日本大学を辞めることなのか、ということである。いや、役職を辞するだけで日本大学教授としてはそのままである、と答えればな~んだ、責任取るってその程度かと思うだろう。」

 

大学教員に求められる力、それを身に着けるための社会人大学院の勧め

 

皆さんは企業で総務、経理・財務、人事、広報、知財マーケティング、経営企画などを担当していてそれが得意かもしれません。しかし大学でそのような業務を担っているのは教員ではなく職員です。職員はサラリーマンの皆さんと同じように新卒で入って係長、課長、次長、部長と出世していく、つまり組織として仕事をします。その仕事に教員は関与しません。教員になる皆さんは言ってみれば「一人親方」として大学の経営・管理ではなく研究と教育で成果を上げることを期待されているのです。

 

あなたが財務が得意だとしても、期待されていることは大学の財務の仕事でもなければあなたの経験を漫然と学生に伝えることでもありません。あなたの経験を理論に照らし合わせて一般化、普遍化し、体系的に学生に伝えることが求められます。それによって学生は応用可能な知識=その分野の基本的な考え方を学べるのです。

 

あなたの経験を普遍化するためには、経験を客観化して深く考察する必要があります。それには単なる仕事に対する以上の「なぜこうなのだろう?」という知的好奇心が必要です。

 

そのために、たんに学位を取るためでなく、知的好奇心を満たすために社会人大学院で学び研究することをお勧めしたいと思います。

実務家教員の必要性と教授不足

文部科学省は実務家教員を増やそうとしている

 

今から実務家教員を志望する者にとって、大学教員は衰退する職業ではない

 

少子化なので大学は衰退産業じゃないの、大学教員は先細りの職業じゃないの、というイメージを持たれるかもしれませんが、これから実務家教員を目指そうとするサラリーマンにとってはそんなことはありません。

現在、日本の4年制以上の大学数は793校です。少子化でばたばたつぶれているかというとそんなことはなく安定して推移しています(前年比新設1閉校2)。令和5年度文部科学省学校基本調査によれば、学生数は294万6千人で前年度を1万5千人上回り過去最大を記録しました。大学教員数は19万2千人で前年より1,232人増えています。これは、18歳人口は減っていますが大学進学率は増えているためです。特に女子の進学率向上が寄与しています。今後もこの傾向は続くため、大学数、大学教員数が急激に減ることはありません。少なくともあなたが転職してから定年を迎えるこれから15年くらいは微減ですが安泰です(そこから先は知りません)。オーストラリアの大学進学率が96%、アメリカ74%、OECD平均62%ですから日本もまだまだ進学率向上の余地があるのです。

 

実務家教員を増やすための文部科学省の”誘導“

 

文部科学省が大学に何かをさせようとする場合、直接指揮命令することはできません。法律や省令で定めればいいのですが、それらは大きな方向や基本を示すもので具体的なことを事細かく決めることにはなりません。そこで補助金を使って誘導する方法がとられます。

私立大学には私立大学等経常費補助金が支給されますが、交付要綱に「何をどれくらいやればどれくらい増やす」というのが事細かく(文部科学省が大学にやってほしいことが)列記されています。令和4年度に特にやってほしいことに割増しで出しますよ、という「私立大学等経常費補助金 配分基準別記8(特別補助)令和4年度」に実務家教員のことがあります。

「実務家教員もしくは実務経験のある教員等の登用、又は産学が緊密に連携した実践的なコース等の設定 

実務家教員もしくは実務経験のある教員等の登用、又は産学が緊密に連携した実践的なコース等の設定 実務家教員もしくは、実務経験のある教員等による授業科目等が設定されている。又は産業界や地方自治体等と協定書や覚書等の組織的な取り交わしを行い、連携した実践的なコースやカリキュラム等を設定している」いれば割増ししてくれます。

やってますよ、と言うエビデンスを示すために、例えば勤めていた大学の授業のシラバスには「実務経験のある教員による授業科目」という欄がありました。

 

なぜ文部科学省は実務家教員を増やそうとしているのか

 

文部科学省は経済界や政治家の要望を受けて、日本の大学を変えなければならないと考えています。

大学は数理・データサイエンス・AIの研究とそれを実際に社会で応用する教育にもっと力を入れなければならない。理系だけでなく文系の学生もこれらを勉強して、社会に即戦力となるDX人材を輩出してほしい。大学は地域の自治体や企業、団体と連携して地域社会や経済の課題を解決する中心になってほしい。内外の企業と連携して大学が保有する知的財産を活用し、新たなビジネスを生み出してほしい。海外ビジネスで通用するグローバル人材を育成してほしい。そしてこういうことは実務家教員ではない既存の教員(アカデミア教員)には不得意である、と思っているのです。

 

アカデミア教員というのは、学部を卒業後就職せずに大学院に進学して修士号、博士号をとり、民間や公的な研究所やシンクタンクなどで期限付きの研究員として研究し(留学などを経て)、大学に助教として採用され、講師、准教授を経て教授になった人のことです。世の中にはこうしてアカデミズムの中で生きてきた人にたいして浮世離れしているという偏見がありますし、経済界から、大学や教員はグローバル化など社会の変化に対応していない、ビジネスで即戦力になる人材を充分育成できていない、というような非難(それ自体いわれのない非難ですが)があります。それに対する文部科学省の解答の一つが「実務家教員を増やす」ということなのでしょう。

 

実務家教員ってどんな人?

 

例えばKKT大学のM教授は三菱商事出身で情報フロンティア学部経営情報学科でマーケティングを教えています(学位はMBA,工学博士)。彼は「やってみる経営学」を掲げ、大学のプロジェクトとして商店街と連携し、空き店舗でマーケティングを学ぶ学生が経営するカフェ(DKartCafe)を開いていました。それを「地方創生・大学プロジェクトによる地域活性化の研究」としてまとめています。

教育の一環として学生がすべて経営するカフェ、というのは実現し運営するために教育・研究の構想力とは別に、膨大な実務能力(商店街振興会との連携や調整、開店に向けての諸手続き・準備、学生への指導・管理、マーケティング、数値管理など)を必要とします(企業と違って部下がやってくれる、ということは無いので)。念のため、実務家教員に必要な実務の能力とは交渉も手続きも全部自分でやる能力の事で、管理職として命令して組織を率いて実現する能力ではありません(実務家教員に必要な能力については別の記事で詳しく説明します)。

そしてこのような社会性・コミュニケーション力が必要なことはアカデミア教員は苦手だろうと文部科学省は思っているのです(決してそんなことはないのですが。実務家教員でもアカデミア教員でも苦手な人は苦手だし、得意な人は得意です)。

 

実務家教員は講師・准教授でなく教授を目指したほうがいい

 

なぜなら、多くの大学で助教、講師、准教授がいても教授が足りないからです。大学設置基準では学生の収容定員に対して必要な教員の数が定められています。そしてその「半数以上は教授であること」と決められています。ところが教授はどんどん定年になったり他大学に移ったりしていなくなります。でも准教授から教授に昇格するためには、在籍年数や業績の制限があり、教授が足りないから即昇格、とはいかないのです。

有名大学なら他大学から引き抜けばいいのですが、普通の大学はなかなかそうもいきません。

だから即教授に採用するに十分な知識・スキルのある実務家教員が求められているのです(特に女性教授が不足しています。「教授等への女性登用の状況」「女性研究者の在籍状況」は補助金のポイントになります)。

 

ということで、実務家教員になるなら今がチャンスです。

 

 

 

実務家教員の定義とは?

あなたは実務家教員と呼ばれるようになります。

 

もしあなたが大学教授になったら、あるいは大学教員に応募したら、あなたは実務家教員というカテゴリーに入ります。

 

実務家教員とは

 

実務家教員の明確な定義はありませんが、国立研究開発法人科学技術振興機構が運営する研究者のためのポータルサイトJREC-IN Portal)では「一般には、企業・官公庁その他における実務経験を通して培われた知識・スキル等を活かして、大学及び大学院(専門職大学及び専門職大学院を含む)、短期大学(専門職短期大学を含む)、高等専門学校、又は専門学校、すなわち各種高等教育機関において、教育・研究その他の職務に従事する教員を意味します」とあります。

 

わかりやすい例としては現役の弁護士が法科大学院の教授になる、というようなことです。もちろん弁護士等の士業、医師の実務経験だけでなく民間企業や役所の実務経験を通して培われた知識・スキルも対象になります。

 

実務家教員の根拠

 

大学は文部科学省の省令である「大学設置基準」によってさまざまなことが細かく定められています。その中に教授の資格(第十四条)というのがあります(准教授、講師、助教の資格も同じようにあります)。(一)博士の学位があり、研究上の業績を有するものとか、(四)大学において教授、准教授または専任の講師の経歴があるものとか、(五)芸術、体育等については特殊な技能に秀でている(安藤忠雄や原監督はこれだな)とか。

 

そこに昭和60年の改正で(六)「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められた者」という項目が加わりました。「次の各号のいずれかに該当し、かつ大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められた者」とあるので、つまり教育上の能力さえ認められれば博士の学位や研究業績、教育の経歴は無くても良い、ということになりました。

 

この時出された文部次官通知を少し長いけど引用します。

 

「◆改正の趣旨

大学における教育研究の一層の発展を図るためには、大学や研究所のみならず広く社会に人材を求め、その優れた知識及び経験を大学において活用することが必要であることにかんがみ、各界にあって、優れた知識及び経験を有し、教育研究上の能力があると認められる者について、大学の教授等の資格を認めることとしたものであること。

 

◆留意点

(一)今回の改正によって定められた規定は、大学で担当させようとする専攻分野について優れた知識及び経験を有する者について、学位、研究上の業績又は教育の経歴の有無にかかわらず、広く大学の教授又は助教授へのみちを開くものであること。
 この場合において、知識及び経験については、大学の教授会等学内の機関において個々に審査し判定すること。

(二)(一)に掲げる審査及び判定に当たっては、当該専攻分野について優れた知識や経験を有する者を広く教授等に採用しようとする趣旨にかんがみ、単に論文や著書の有無によることなく、例えば

 当該専攻分野に関連する職務上の業績

 当該専攻分野に関連する職務経験の期間

 当該専攻分野に関連する資格

などを考慮して審査、判定すること。

 

◆なお、今回の改正は、教授等になることのできる資格を拡大し、広い範囲に優れた人材を求めることができることとしたものであり、資格の水準自体を変更したものではないこと。」(文部事務次官通知「大学設置基準の一部を改正する省令の施行について」(昭和60年2月5日))※第14条第6号、第15条第5号の改正時の施行通知)

 

実務家に開かれた大学教員への道

 

ということで博士じゃなくても(実際は学位必要ですが)、論文や著作がなくても、大学で教えた経験が無くても、大学教授への道が開かれたのです。

 

ブログなのに書き方がくどくて申し訳ありませんが、実務家教員とは何かについてネットの記事を検索すると現役の大学教員ですら正確に理解していない例が見受けられたのでこのような書き方になってしまいました。

 

次の記事では文部科学省が実務家教員をどのように考えているか、増やしたいのか減らしたいのか、それが現実的に大学教育に(そして実務家教員志望者に)どのような影響があるのかを考察したいと思います。

教員を採用する側の大学の本音は・・・

何から始めるか?まず、学位をとってください。

 

ある大学の経営情報学部経営総合学科商学マーケティング分野の教員募集の応募資格に「博士・修士の学位を有する者またはそれと同等の能力、業績を有する者」と書いてあります。

 

そうか、必ずしも学位は必要ないのか、と思うかもしれませんが、それは違います。本音のところでは、学位の無い人を採用することはほとんどありません(あなたが高卒で東大教授になった建築家の安藤忠雄のような世界的名声と実績があれば話は別ですが。ちなみに青学大の原監督は中京大学部卒ですが2019年から地球社会共生学部教授です)。

 

なぜ採用する側の大学は民間企業や役所からの応募者にも学位を求めるのでしょうか。

 

第一に、学位があれば教育や研究などの大学の「内側」を少しは知っているだろうと思われるからです。民間企業や役所とは異なる大学の組織や仕事の特性を一から説明するのはなかなか大変です。学位があるということは大学院で学んだ経験があるということですから、学部生と比べて教員や事務職員との接点が多く多少とも「内側」を知る機会が多かったはずです。

 

第二に、少なくとも修士であれば10万字以上の修士論文を書いたか、あるいはそれに匹敵する研究をした経験があるはずです。それはつまり他の人の研究や理論を学んだうえに自分で仮説を立てて検証した、つまり論理的に考えた経験がある、ということです。それがあれば自分が仕事で経験したことを客観的に見直して普遍化して語れるはずです。受け持つ科目で、ただ自分が直接経験したことを自慢話のように語るだけでは授業になりません。それでは困るのです。

 

第三に、既存の学部に採用されるだけなら問題ないのですが、新設の大学や新設の学部に採用される時には大学設置・学校法人審議会による教員資格審査があります。もしかしたら将来学部を新設してそこへ移ってもらうかもしれません。その時はあらためて資格審査があります。たとえあなたが民間企業や役所で実務を経験してきたことが業績として評価され採用されるとしても、学位があれば審査がスムーズに行きます。

 

学位は修士以上、博士でも留学してとったMBAでもPh.D.でもかまいません。たとえあなたが応募するのが商学マーケティング分野で、持っている修士の学位が国文学であってもそれは構いません。国文学の修士をとった後で民間企業に就職してマーケティングの実務で経験を積み業績があればいいのです。直接関係ない分野の学位でも学位は学位です。

 

さて、学位が無ければまず学位を取ってください。社会人が仕事をしながら通って2年間で修士号をとれる大学院はたくさんあります。多くは昼夜開講制といい、平日の夜と土曜日に通って授業を受けて必要な単位をとることができます。後は2年目に修士論文を書き上げて提出し合格すればはれて修士です。

 

社会人になってから、自腹で通って同じような学友と共に学ぶことは大きな意味があります。人生の上でまたとない価値のある体験になるでしょうし、そこであらためて学ぶ楽しさを体感することでしょう。それを自分が教員になった時学生に伝えることも大事なことです。

 

いずれにしろ学位はあっても正規のアカデミズムの世界ではなく企業や役所の実務で業績をあげてきたあなたは、文部科学省、あるいは大学業界でいう「実務家教員」ということになります。次の記事ではあなたがなろうとする「実務家教員」とは何かを解説します。